もうひとつのK 「キエーロ」プロジェクト

「生ごみの臭い匂いが嫌」という妻のために、元パイロットが考案した生ごみ処理装置「バクテリアdeキエーロ」。 きっかけは仕事だったが、自らも利用し、非常に興味深い。 「企業もいくつか訪ねてきたが、“儲からない”ことが分かると去っていく」というから、面白い。 その無限の可能性のどこまで、迫れるのか、そんな興味から、篠田のアプローチは続いている。

いくつか、ボランティアで制作した動画がある。 いくつかの記事と共に、ここに整理してみる。

2011年 『仮設住宅をキエーロが行く』(4分30秒)

      『キエーロのある暮らし@松本さん』(6分)

2012年 記事「陸前高田でも購入費補助へ」

2013年 活動まとめ「陸前高田で見た!キエーロの可能性」

     「キエーロの使い方冊子」(2012年秋版@陸前高田用)

2015年 『入田直子が行く!①~矢作小仮設の達人~』(11分30秒)

      『入田直子が行く!②~はまらっせん農園での活用法~』(8分30秒)

      『入田直子が行く!③~上長部の製材所菅野さんの挑戦~』(9分) 

2016年『入田直子が行く!~水俣市の取り組み~』(12分)

 

2011年夏 仮設住宅をキエーロが行く

初めて高田を訪れた5月下旬から夏まで、竹駒小仮設住宅で 「キエーロを作る会・使う会」 というイベントを行なうまでの日々の写真を、動画にまとめた。(4分30秒)
 

キエーロの考案者 松本さんのメッセージ

神奈川葉山町にお住まいの松本さんご夫婦。 広いお庭で、いろいろな生ごみ処理を、それこそ、EM菌から段ボールコンポスト、もちろん、電気処理の物まで、研究してみたが、結局は、昔ながらの、「土に埋める」という方法が、答えだということに、行きついた。 元パイロットならではの「夢」も、実に壮大だ…。(6分)
 

2012年10月 東北初!「陸前高田市で購入費補助制度 開始」

生ごみ処理機は、全国の多くの自治体で、購入費補助制度が導入されている。 それは、生ごみの自家処理が進めば、行政ごみに出す場合に必要となる運搬費、焼却費、施設維持費などが軽減され、かつ、「迷惑施設」と言われる焼却炉を延命させる効果があるからだ。 首都圏の多くでは、キエーロをその対象にするところが広がってきているが、東北地方では初めてだ。 三井物産環境財団の助成による「モニター制度」で、寒いところでも活用できることを実証できたためだ。

2011年~13年3月 三井物産環境財団「キエーロモニター制度」報告

「バクテリアdeキエーロ」という魅力的な名前を授かった、“奇跡のごみ箱”には、どんな可能性があるのか…冬期の利用だけでなく、モニター事業のねらいは、そこにもあった。 木で作れること、みんなで作ると楽しいこと、「消える?」「消えてる!」というのは、ネタとして面白いこと、絵を描くことが出来ること、そんな利点が、2年間の、様々な事例から確認できた。 しかし、安定普及のための課題は多い… 

2012年秋版 「キエーロの使い方」冊子

東北の冬をこえることは出来るのか、最初の冬の経験を活かした冊子を作った。 今まで、松本さんとも、何度となく、キエーロの教科書が出来れば、といいながら、取り組めていないのは、なかなか、「正しい使い方」があるのか、どうか、分かりかねているというところもある。 同じ意味で、この冊子にも、「正しくないこと」があるかも、しれない。 しかし、一時期にせよ、形にしたものであるので、ここにさらす。もちろん、批判、ご意見を頂戴することは、大歓迎である。

2015年春 入田直子が行く①  「探訪!矢作小仮設の達人の技」

2011年11月に 「キエーロを作る会・使う会」 を実施した矢作小仮設住宅。 それまであまり交流がなかった住民たちが、本イベントの実施のため、みんなで炊き出しを企画し、材を切り、作り、土を運び、そして、使い方を教えあった、そのことで、コミュニティーが活性化されたというのだ。 その中で、姉妹のちぎりをかわすようになった二人の女性を、2010年夏、キエーロを世に知らしめたリポーター、入田直子が訪ねる。 入田さん自身が、自宅で使うキエーロの診断(?)も交えた15分。

2015年春 入田直子が行く②  「驚愕!はまらっせん農園で大活躍」

陸前高田で注目を集める取り組みの一つが、高田病院が始めた 「はまらっせんプロジェクト」 だ。仮設住宅の近くの農地を借り、住民がそこで、畑仕事をするというものだ。 その畑で、キエーロを使い、土を豊かにしたいという取り組みが、2014年から始まった。 その中の1つ、西和野仮設住宅のみなさんの様子を、入田直子が訪ねる。

2015年春 入田直子が行く③  「奮闘! 支援で出来た製材所を守る男」

津波の被害により生じた瓦礫や、業者の冷凍庫からあふれ出たサンマを、処理するため、多くのボランティアが訪れた沿岸部の上長部地区。 当時の支援を忘れてはいけないと、今も手作り製材所を運営・経営し続ける男性がいる。 跡継ぎの息子が津波の犠牲になってしまった菅野さんだ。 ひょんなことで篠田は出会い、そして、息子さんが大事にしていた雑木林で子どもたちを遊ばせてもらったりする中で、いつしか、キエーロを作るというプロジェクトも始まった。 その現場を入田直子が訪ねる。  

2016年5月 入田直子が行く@水俣市  「挑戦!“もやい直し”の切り札となるか…」

水俣病の公式確認60年の年。 4月中旬、震度7が二度も襲う熊本地震がおきたが、当初予定通り、我々は、5月下旬、水俣を訪ねた。 キエーロに熱心に取り組んでおり、松本さんのお宅への視察や、松本さんの講演を水俣で実施するなど、「水俣病の教訓を活かす」ために、環境都市の歩みは、緩めず、出来れば、市民の間の分断を、紡ぎなおすためのツールとならないだろうかと考えている。 その現状を入田直子が訪ねる。

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